(産業経済)感情労働者の成果物の評価

人間の労働は「肉体労働」、「頭脳労働」、「感情労働」に分けられるとみてよい。これらの区別のための線引きはかならずしも明確ではなく、相互にオーバーラップしていることもあるだろう。しかしその労働の要素を考察するには、こういった「肉体労働」、「頭脳労働」、「感情労働」といった言葉は役に立ちそうだ。そして「感情労働」の一つの特徴は、その労働の成果物が明確に認識されにくいということがあるのではないだろうか。

例えばの話、自分の敷地にハウスを持っていて、その中で野菜や果物を栽培している農家の人がいたとする。この人の労働は、一応「肉体労働」に分類して差し支えないと思われる。そして、この肉体労働の成果物は、まさにそのハウスで栽培される野菜や果物である。農家の人はこの成果物を段ボールの箱などに整然と詰めて市場に出荷する。市場の「仲買人」はこれを農家から買い取り、農家の人はこの成果物の代金を受け取る。このように、農家などの肉体労働の場合は、その成果物が具体的で認識されやすく、代金回収のメカニズムも確保されているといえよう。

では、「感情労働」をする労働者の成果物はどう認識し評価すればいいかという問題がある。私はここに感情労働というものの難点があるような気がする。感情労働者も、例えば看護婦のように、医療機関に雇用されている労働者の場合は、労働基準法の保護の下にあり、毎月決まった額の給与(賃金)を受け取ることができる。しかし、フリーランス(自営業者)の感情労働者の場合はどうだろう。私はその具体的な典型例として演奏家声楽家、ピアニストなど)が挙げられるような気がする。

そこで思い出すのが、かつて『演奏に代金は払いたくないのか』というタイトルの文章をブログに投稿して話題を呼んだ声楽家、川上真澄さんのことだ。川上さんが『演奏に代金は払いたくないのか』というタイトルの文章を発表せざるを得なかった背景には、演奏家川上さんが聴衆に提供している「成果物」が、抽象的で認識されにくいものであることがあると思う。

【関連項目】

(音楽)演奏に代金は払いたくないのか

http://SNS.jp/view_diary.pl?id=1960436893&owner_id=3879221

「演奏に代金は払いたくないのか」リニューアル版

https://ameblo.jp/cecilia311/entry-12294803977.html

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■「感情」を使う仕事につく人の「心」の守り方